2009年2月9日月曜日

春節から元宵節まで



 「春節」は、中国の「正月」のことです。実に、4000年の歴史を持つ、中華圏ではもっとも大切な祝祭日なのです。日本では、太陽暦(西洋暦)で季節ごとの伝統行事が行われるようになったのですが、中国では、「農暦(旧暦)」を用いており、今年は、1月26日が、2009年の元旦に当たりました。2006年の夏に、中国に来ました私たちは、初めての「春節」を天津で過ごしたのです。大晦日には、花火と爆竹が、街中で炸裂していました。私たちが住んでいましたアパートは、アパート群の空き地に接していました。 そこは、爆竹を打ち鳴らしたり、花火を揚げる最適な立地でしたから、宵から真夜中にまで、大音響の連続でした。私たちの部屋は、7階にありましたから、高く上がらなかった花火が、窓の間近で炸裂して閃光が部屋中に輝きわたっていました。あの勢いでしたら、悪鬼は逃げ出さないわけにはいかないのだろうと思わされたのです。




 そのような訳で、まあ逃げ出したのではないのですが、去年と今年は、この時期に旅行をしたのです。一昨年の暮れに、長男夫妻のところに女児が生まれましたので、家内は手伝いで12月半ばに帰国し、私は年が明けて学校が休みに入りましたので帰国しました。今年は、シンガポールで働いています長女のところに身を寄せて、そこで「春節」を過ごしたのです。シンガポールでは、だいぶ以前から安全上の理由で、爆竹禁止になっているとのことでした。火薬発明の子孫であるこちらのみなさんには、きっと物足りなさを感じているのだろうと思ったのですが。その代替物として、飾り立てられたトラックの荷台に載せた太鼓が打ち鳴らされていました。爆竹に比べましたら、太鼓の音は、穏やかな静かな音に聞こえたのです。この4000年もの間、受け継がれた伝統文化を、そういった形に変化させるのは、一大決心だったのではないでしょうか。おかげさまで、爆竹の炸裂音に悩まされない夜を、ゆったりと寝ることができた次第です。




 1月の末になって、『ハッピー・ニュー・イヤー!』、『新年快楽!』と挨拶を交わすみなさんの声に、ちょっと戸惑いを覚えて、一呼吸遅れて呼応し、同じように挨拶をする《ぎこちなさ》が残るのですが、一昨年よりは昨年、昨年よりは今年、だいぶタイミングが合うようになってまいりました。一昨日、シンガポールから戻ったのですが、長楽の飛行場の上空に差し掛かる頃、夕闇の眼下に、花火が打ち上げられているのを眺めることができました。『まだお祝いの渦中なのだ!』とうことが分かりました。去年も同じ時期に、日本からfu福州に戻りましたが、同じ光景を眺めたのです。こちらのみなさんは、正月行事の最後となる「元宵節(春節から数えて15日目)」には、「汤圆(タン・ユアン)」を食べるのです。家族の「団欒」と「幸福」を願ってだそうです。昨日、家内が友人のおば様家族のところにお邪魔して、帰りにいただいてきた「汤圆」を、今日の昼に食べました。美味しかった!4人の子どもたちが巣立っていき、家内と二人になった今、しかも中国大陸の片隅に暮らす身なのですが、それでも、すべての家族の「団欒」と「幸福」は、今なお私たちの切なる願いでもあります。食べ物を美味しく食べて、元気を出して、新しい年を祝福していくことは、素晴らしい伝統でありますね。この記事を書いていましたら、隣家のエプロン姿のご主人が、「春巻き」を届けてくださいました。『ここ福州では、元宵節に「春巻き」を食べるのです!』とのことで、お裾分けくださったのです。美味しかった!




 大晦日に、こちらでは「そば」ではなく、餃子を食べるのですが、私たちはシンガポールの娘の友人たちと、餃子と名前を覚えていない料理をいただきました。胃袋で、文化を感じ取ることができるのも素晴らしい特権だと思うのです。新暦の正月には、和式に「お雑煮」を食べることができ、こちらの小正月に当たる「元宵節」には、「 汤圆」と「春巻き」を食べることができました。平安と幸福と喜びのあふれる、2009年であることを心から願うものです。餃子を食べる大晦日には、「圧歳銭 (お年玉)」を年長者が子どもにあげる習慣なのだそうですが、長女にお年玉を上げるのを忘れてしまいました。幼い頃、私の父は決まって、このお年玉をくれたものですが、幼かった私たちの子どもたちに我が家はどうだったのでしょうか、忘れてしまいました!

(写真は、正月に回す「御所人形・独楽廻し<遠山記念館HP>」、元宵節に食べる「汤圆」、シンガポールで頂いた「大晦日の料理」、「お年玉の袋」です) 

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。