2009年2月21日土曜日

『父母を父母として遇する!』



 子どもの頃、父も母も親戚付き合いは、多くはありませんでした。それでも母の故郷・山陰に旅行をしたり、父が中学時代に身を寄せていた大森の親戚の家などを、みんなで訪ねた記憶があります。もっと、足しげく行ってみたかった父の三浦半島の生家には、父の継母の葬儀の折に、父に付き従って訪ねただけでした。なぜか、父は、兄たちではなく三男の私を連れ出したのです。もしかしますと、私が父の父似だったからかも知れません。

 父に愛され、期待された息子だったのですが、応えることのできなかったことは、私の悔いのひとつであります。もう何十年も前からですが、父の生まれた町、通った東京や秋田の町、若い一時期を過ごした遼寧省の瀋陽(父の時代は《奉天》と言っていましたが)、朝鮮半島の京城(ソウル)、そういった町々を訪ねてみたい思いが強くあるのです。




 父は61の誕生日を過ぎて間もなく、入院先の病院で、脳溢血を起こして召されたのです。父の退院する日の朝、唐突に、父との別れが訪れましたから、ことさらに父とのつながりを確かにしてみたい思いが強いのかも知れません。幾つになっても父は父なのですね。『父は、父なるが故に、父として遇する!』と言うことばを聞いたときから、父への敬意、感謝の足りなかった私は、そういった思いが募るのでしょうか。いまだに健在な父の連れ合いであった「母」に、その思いを向けたらいいいのでしょう。来月、92歳になる母ですが、兄によりますと、食欲が旺盛なのだそうです。散歩を嫌って、近くのドラッグストアーに入り込んで、時間潰しをする茶目っ気たっぷりの母であります。『母は、母なるが故に、母として遇する!』も然りであります。う~ん、元気だったときの、父の颯爽とした姿や、甲斐甲斐しく世話に励んでいた日の母の姿が、目に浮かんでまいります。

(写真は、HP《ぐるめ・あいとっと》の「横須賀海軍カレー」、HP《旅スケ》の「山陰・出雲の夕日」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。