2009年4月19日日曜日

『どんな醜い母でも、愛さなければならない!』


     『あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。』

 『誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。』を「批判」、『相手の欠点や過失を取り上げて責めること。』を「非難」、『他人の悪口を言うこと。」を「誹謗(ひぼう)」、『根拠の無い悪口を言い、他人の名誉を傷つけること。』を「中傷」、『事実・論理に合わない、でたらめなことば。』を「妄言(もうげん)」、『罪状や責任を問いただして、とがめること。』を「糾弾(きゅうだん)」、『他人を陥れようとして、事実を曲げ、いつわって悪し様に告げ口をすること。』を「讒言(ざんげん)」、と三省堂の「スーパー大辞林」にありました。聞いて心地よくないことばを言い表した「ことば」をこれだけ知っていますが、ほかには思い出せません。

 何で、こんな「ことば」を挙げ連ねたかといいますと、願わないことをたびたび人から言われきたからです。私は極力、人の悪口を言ったり陰口を利かないで生きてきたつもりですが、さりとて失敗もきっとあるはずですから、誇れませんが。これまでの私に対する「ことば」を思い返しますと、「非難」と「讒言」を、何度か聞いてきましたし、「批判」はしょっちゅうでした。『それだけ、私に関心があるからなのだから!』と思って、聞くことにしたのです。当を得た「ことば」であるなら、くみ上げて、反省もしました。誤解されたときは、馬耳東風で聞き流してしまいました。そんな中で、どうしても忘れられない「ことば」が幾つあります。まあ忘れられないで覚えているのですから、強烈だったことになるでしょうか。その中で一番強烈だったは、事実無根なことを公にブログで攻撃されたことでしょうか。

 そのほかに心外だったのは、「マザコン」と陰口されたことです。直接ではなく、家内を経由して、そう言われたのです。一度や二度ではありませんから、『俺は、本物のマザコンなのだろうか?』と思って、『では、マザコンに徹してやろう!』と反骨の思いをもったりしたのです。なぜかと言いますと、私が母親のことを話題にして、ちょくちょく話したからでした。母を語る、母を誇る、これは「孝」や「感謝」であって、誰もがすべきことだと思いましたから、「マザーコンプレックス」のレッテルを貼られても、母を語って止むことなく、ここまで生きてきました。中国語辞書では、「対母親的錯綜意識(幼年時受母親過分寵愛的人、青年時期所表現的一種対女性関係的抑制心理状態)」とありました(遼寧人民出版社「新日漢辞典」)。精神医学者で「精神分析」の創始者のフロイトが命名したことばです。

 中国に、『どんな醜い母でも、愛さなければならない!』という格言があるそうです。だからでしょうか、中国の武勇伝の英雄たちは、自分の母をよく語り、敬い、大切にし、誇るのです。そのような母親思いの武将を、民衆は高く評価し、英雄視するわけです。「日本青少年研究所」という団体がありまして、2004年に、日・米・中の高校生の調査をしました。その中で、『どんなことをしてでも親の面倒を見たいか?』という項目に、次のような結果がでています。アメリカは67.9%、日本は43.1%でしたが、中国は84.0%という高いパーセンテージを上げているのです。『祖国は母である!』、国を愛するなら、母を愛するということを学び、中国の青年たちは、それを実践しようとしているのです。そんな若者たちの一人が、深沢七郎の「楢山節考」を知っていて、「姥捨山伝説」について質問されたことがあります。私が母を誇ることと、その私をフロイトの口を借りて『マザコン』と言うのと、どちらに軍配が上がるのでしょうか。中国の若者たちは、きっと私を支持してくれるに違いありません。中国に来てよかった、ひとつの理由の一つがこれであります。今日、二歳違いの弟が、母孝行の行き先を、出雲から鎌倉に替え、『五月の連休に、一緒に行って来るね!』と言ってきました。うーん、弟には負けてしまいます!

(写真は、東映映画「楢山節考」の一場面、主演の緒形拳は昨年10月に亡くなりましたね)  

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。