2009年4月12日日曜日

《隣の三尺》と《おらが三十尺》


 所帯を持ってから、一度だけ、一軒家に住んだことがあります。それも、四軒とも同じ造りの借家で、持ち家を作る前の仮住まいでしょうか、まだ幼い子どもが二人ほどの家族が、まわりに住んでいました。家と家との間が1.5メートルほどで、西側の窓をまたぐと隣の家に入り込めそうでしたし、東側の窓からは、隣の大家さんの息子の家の浴室が鼻の先にありました。それ以外は、アパートや市営・県営の一棟30~50軒ほどの集合住宅に住んだのです。引越しの多かった我が家で、市営住宅の5階に住んでいたときのことでした。子どもたちが留学中に引越しをしたので、彼らには引越しの実感が無く、帰国して違った家に帰って来なければならなかったわけです。そんなことが何度かありました。あるとき下の娘が、アルバイトを終えて帰った来たときに、あわてて階段を駆け上がって、ドアーを開けて玄関で靴を脱いで顔を上げると、お客さんが出て来たのです。『こんばんわ!』と言ったのでしょうか、でも、そのお客さんが怪訝な顔をしていたのです。玄関を見回すと、いつもとちっとたたずまいが違うのに気付き、『あっ、間違えた!』と思ったのだそうです。詫びて方法のていで駆け下りて、隣の階段から我が家に帰って来たことがありました。笑えない出来事でした。我が家も、その家も、玄関のドアーに施錠をしなかったから、こういったことが起こるのですし、もちろん同じような階段とドアーですから、考えずに帰宅したらありうることなのでしょうか。その上、留学から帰って間もなくでしたし、彼女も少々おっちょこちょいだったこともありますが。

 こちらに来るまで住んでいたマンションでのことでした。ある日、玄関に、『静かにしてください!』との張り紙がされてありました、隣家の仕業でした。『掃除機の音がうるさい。洗濯機の音がうるさい。話し声が大きい!』そういったことが書いてありました。それで、極力音を加減しながら生活を続けたのですが、もう一度張り紙があり、戸袋の新聞受けにも、抗議文が入れてありました。ことばで訴えるのならまだしも、張り紙をされて、我慢の緒が切れてしまった私は、大人気なく隣の玄関を大きな音を立ててたたいてしまったのです。音といったって、生活音です。傍若無人に生活していたわけではありません。集合住宅での生活術をわきまえていたつもりだったからです。その一件があって、東京の渋谷から、彼女のお母さんが呼ばれて駆けつけました。そのお母さんと家内が話をしたのです。『娘は夜中は起きていて、昼間は寝ているので、お宅の音が気になるようです!』と弁明したのです。朝方に眠りだす人の隣家の我が家で、ノーマルな日常を開始して、朝起きて、早過ぎないようにして洗濯機を廻すのですから、無理難題をしていたわけではありません。間もなく、越していきましたが。数少ない隣人との悶着でした。

 《隣の三尺》と言うことばがあるようです。隣と接する玄関先を掃き掃除するとき、隣家の前の通りを、1メートルほど進入して掃くことの勧めです。掃き過ぎてもいけないし、ぎりぎりの線までしか掃かないのもいけない、これが《程よい範囲》なのです。狭い日本の社会で、先人が悟った知恵なのでしょうか。ここ中国では、そんな気遣いは感じられません。足元に、『ガーッツ、ペ-ッ!』と痰を吐かれますし、上の階から、『ひらひらやドスン!』とゴミや物が我が家の庭に捨てられます。まさに《おらが三十尺》です。それでも、お世辞笑いでは無いのですが、みなさん人懐っこいのです。慣れました。でも《隣の三尺》を気にしなければならない気遣いの社会から、気を使わないでいい社会に住みますと、自由でいいのでしょうか、開放されてこちらの生活に満足している日本人に時々、出会います。でも、日本に帰ったら、『礼儀知らず!』とか『世間知らず!』と、『言われないようにしないといけないだろうな?』と、もう気にしているこのごろであります。

(写真は、HP《若き建築家氏間貴則の挑戦》の「玄関」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。