2009年4月6日月曜日

「忍」と「和」との隔たり


 30年の結婚歴のある夫婦を対象に、シチズン時計が、アンケート調査をしました。『結婚を漢字の一字でどう表しますか?』と言う問いに、総合順位は次のようでした。一位は「真」、二位は「和」、三位は「絆」、四位は、「愛」でした。男女の違いがあったのはそれぞれの二位でした。男が、「和」であったのが、女では「忍」だったことです。いわずもがなの結果なのかも知れません。やはり妻たちのほうが、忍耐して結婚生活を送っていることになるわけです。そういえば、私たちの結婚生活も同じようなことがいえるのだろうと思うのです。短気でおっちょこちょいの私は、その日、何があっても一晩寝てしまうとまったく新しく一日を始めて行ける人間でしたが、彼女には、忍んで耐えた毎日だったことになります。そういえば先週、4月4日は、私たちの結婚38周年だったのです。彼女は、『わたしでなかったら、あなたにここまで添い遂げる女性はいなかったでしょうね!』と、平然として、かつまた確固たる自信をもって言い切るのに、私は反発できなくて、『そ、そう、その通り!』と言ってしまう、二人の38年目であります。

 『そろそろ結婚をしなくてはいけない!』ような雰囲気が、私のまわり一面に満ちていました。女子高に務めていましたから、『身をかためなければ!』と言う切実な迫りも感じていたのです。社長の娘も、大学や専門学校の講師も、そのほかにも数人の候補者がいました。でも、『誰でもいい!』わけではありません。それで、上の兄に任せたのです。その兄が紹介してくれたのが、今の妻でした。名も富みもない方の娘でした。後になって知るのですが、彼女は、島津家から徳川家に嫁いだ「篤姫」も、『あっ!』と驚くほどの家系だったようです。今の世では、『それが何なの?』と言われそうですが、頼朝の家来だと父が誇りに思っていた「鎌倉武士」の末裔などは、足元にも及ばないわけです。名も金もない人の娘を妻にした、私の好きな政治家の広田弘毅は、素晴らしい家庭を建設したのですが、当時の外務官僚としては、広田は異端児でした。ほとんどが、名家の娘を妻に迎えるのですが、『妻の口利きで出世したと言われるような者になりたくない!』と頑なに突っ張って、28のときに、七つ下の好いた女性を広田は娶ったのです。広田夫人は、刑死する夫に先立って、鵠沼の家で自死して果てます。やはり、この方は、富や名誉には目も向けない自由民権運動の志士の娘でした。

 「潔さ」を広田のうちに見て、感動される私ですが、『50年早く生まれた!』と彼は何度か漏らしたそうですが、激動の時局をまったく良心的に、誠実に、務めを全うして生きたのです。あの時代の舵取りに、不可欠な日本に天が備えられた逸材だったにちがいありません。その彼を陰で支えつづけた夫人があってこそ、広田が天職を全うして生きられたわけです。

『人がひとりでいるのはよくない。』

との諺が、結婚の最前提であるのですから、うーん、彼の結婚生活に大いに刺激されます。人の結婚に憧れるだけではなく、私たちの結婚生活に、子どもたちや孫たちが刺激されてほしいものです。そのために、家内には、もうしばらく「忍」の一字で添い続けてもらいたいものです。これって「和」を求める男の甘さとずるさでしょうか。

(写真は、新婚旅行で訪ねた「潮来」の「あやめ《旅猫旅日記》」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。