2009年4月14日火曜日

王への敬愛と感謝を!



   「・・・王とすべての高い地位にある人たちのために・・・感謝・・・しなさい」

 最近、今上天皇(平成)でいらっしゃる、明仁様の逸話を読みました。新憲法下で、国の「象徴」となられ、人間宣言をされた昭和天皇のご長男でいらっしゃいます。学習院に学ばれて、昭和34年1月14日に、正田美智子さんと結婚をされました。今年、ご成婚五十周年の「金婚式」を迎えられたのです。私は、結婚式後のパレードの様子を、テレビの中にまぶしく見せていただいたのを、よく覚えております。さらに、昭和64年1月8日、第125代の天皇に即位されましたが、その様子も、テレビで見せていただいて、「国王」のいる英国と同じように、『日本は王を戴く国家である!』と言うことを、改めて思わされたのでした。横暴で、権威の座に安穏として、ほしいままに権力を行使した王は数あるのですが、明仁様は、王でありながら、実に謙虚で誠実な方であることに、驚かされるのです。もちろんお会いしてことばを交わしたことなどありません。でも知る限りにおいて、このようなへりくだって、いたわり深い王様を他に知らないのです。

 明仁様が、学習院大学に在学中のことだそうです、東都大学野球の試合がありますと、ちょくちょく神宮球場に応援に行かれたのだそうです。学習院のエース・ピッチャーが親友であったからだそうです。もちろん母校愛での応援でもあったのですが。そのときの様子を記している雑誌の引用を引用します。「当時の『野球少年』という雑誌に、こんなレポートが掲載されている。<ゲームは熱戦をくりかえしながら進んでいきました。ところが皇太子さまは、相手チームがエラーしたときなどは、応援団がさわいでも、ご自分はいっしょに手をたたいたりなどはなさらないということに気がつきました。熱狂すると、敵がエラーでもすれば、ついさわぎたくなるものですが、相手にとってみれば気持ちのよいものではありませんし、スポーツマン・シップからはずれているように思います。そんな応援をなさらない皇太子さまは、やっぱり日本の少年たちの代表だと思いました。> 」、二十歳前後の明仁様が、このように振舞われたのです。

 《相手の失策を喜ばない》、これこそ一事が万事でしょう、このような心や態度をお持ちの方が、私たちの国の「王」であることを、誇りたいのであります。もちろん王様は、信仰の対象ではありません。しかし国民が、立てられた王に、心からの敬意を示すのは、当然なことではないでしょうか。「・・・王とすべての高い地位にある人たちのために・・・感謝・・・しなさい」と、私は学ばされましたから、心からの敬愛と感謝とを表したいのであります。

 明仁様、美智子様のご健康とご長寿を、心から願っております。

 ところで、義父は、自分の家系などにはさらさら関心は無かったのですが、長男を《馬の骨》呼ばわりされて、癇に障ったのでしょうか、どうでも良いと思っていた家系のことを、綿密に調べたのだそうです。そうしましたら、なんと天皇家の家系に属することを突き止めたのです。『だから、どうなのですか?』と聞き返されてしまうので、結局はどうでも良いことにして、義父は、ブラジルのサンパウロの地で召されて、何ももたずに天に帰っていきました。遺骨も、大西洋の海原に散骨してしまいました。そうしますと私の四人の子どもも、四人の孫たちも・・・・、明仁様と・・・・、うーん、考え過ぎでしょうか。

(写真は、新華社のネットに掲載された「金婚式記念(2009年4月)」の天皇ご夫妻、2008年5月、明仁天皇(左から3人目)と皇后(右から3人目)は胡錦濤主席(左端)を滞在中のホテルに訪ね、胡主席と劉永清夫人(右端)です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。