2009年4月27日月曜日

『這えば立て、立てば歩め・・・』


 隣家に猫が二匹飼われてています。先ごろ若いほうの猫が出産をしました。子猫の声がしばらくしてからやんでしまったのですが、どうも飼い主が、母猫の留守の間に処分してしまったようです。それで、毎日毎晩、産んだ子猫を呼ぶ声がして、実に切ないのであります。親猫の子への情愛が、こんなにも深いのだということを知らされて、鳴き声に悩まされながらも、感心させられております。狼にしろ猫にしろ、人間以上の愛情を子にそそぐ、その様は、『人間よ、猫に学べ!』と言われているようです。
 
 物資の少ない時代の子育ては、きっと大変だったのではないでしょうか。父の若い日の写真が母のアルバムの中にあるのですが、戦争末期に、仕事で山奥の採掘工場から東京の本社や陸軍省に出かけたときの写真のようです。恰幅の良い父にしては、信じられないほどに、頬が落ちて眼がくぼんで、痩せて写っているのです。敗戦間近の東京の食糧難は相当なものだったようです。そんな中、四人の子育ては、山村でも並大抵ではなかったのではないでしょうか。飽食の今からは、想像することが出来ない、《食べられない時代》があったのです。どこからか、生まれたばかりの私のためにミルクを、兄たちの食料も調達してきて、ひもじい思いをさせなかった父と母には、感謝がつきません。

 『子を持って知る親の恩!』、父と母に、私たち四人兄弟があったのですが、私たちにも四人の子が与えられました。子育ては、70~80年代の好景気の時代でしたから、私の父母に比べたら容易だったのだと思われます。それでもお金がなくて、米が買えないときもありました。『どうしよう?』と思っている矢先、『広田ちゃん、米が採れたので食ってくれますか!俺が母ちゃんと作った米、うまいですよ!』といって貰らい、兄の福井の友人や知らない人から送って来たり、そんなことが何度もあったのです。『おかずがない!』と思っていたら、佃煮が送られてきたり、肉を戴いたり、結構ぎりぎりのところで、備えられたことが度々あるのです。そうしますと、子どもたちにとって、『何不自由なく生活できる我が家!』ではなく、物のないときを一緒に過ごしたことがあったことになります。いつも、ぎりぎりのところで、カラスが運んでくれた経験をしていることにもなりますね。継ぎを当てたズボンなどはいている子などいなかった時代でしたが、継ぎをしたものを着たり穿いたり、お古を使ったりしてきたのです。そういった経験は、子どもたちにはよかったのでしょうか。また、《待つこと》や《我慢》を学ぶことが出来たのもよかったに違いありません。

 長男に子どもが二人、次女にも二人いて、今、私と家内には計四人の孫がいます。『這(は)えば立て立てば歩めの親心 !』は、ジジとババの心でもありますが、健康で元気に育っていることは何よりです。

  『野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる!』
  『一切れのあわいたパンがあって平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家に
   まさる!』

という諺がありますから、そんな家庭で育っていってほしいと願ってやみません。「端午の節句」で、鯉幟を挙げ、武者人形を買ってあげられなのですが、心と体が健全で、愛心や優しい心を宿した子どもとして育ってほしい、名のない野の花のように、春の若芽のように、静かに、そして着実に、すくすくと、そう心から願う「黄金週間」目前の福州のババとジジであります。

(写真は、HP《静かな裏庭》の「枇杷の芽」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。