2009年4月10日金曜日

いなり寿司


 『好物は何?』と言われたら、真っ先に答えるのが、「いなり寿司」なのです。運動会のときや遠足に、母が持たせてくれたからでしょうか。普段も食べていたのでしょうけど、特別に、「運動会」のときに食べたときの美味しさが、きっと強烈だったのだと思います。小学校では、兄たちは、各学年の代表で、「部落対抗リレー」に出ていたのですが、病欠児童の私は鈍足でしたから、出してもらったことが、まったくありませんでした。クラスの徒競争でも、ビリかビリから二番手と言ったところがお決まりでした。で、応援席で席を暖め、荷物番をしていて、それでもお腹の空いたところに、甘辛く煮込んだ油揚げに、細かく刻んだ人参や蓮根を入れた酢飯を詰めた「いなり寿司」を食べては、代表になれない憂さを晴らしていたのでしょうか。ほろ苦い経験でした。それでも小学校高学年になった頃には、健康になって、マット運動や跳び箱などには、『雅、お前やってみろ!』と担任に言われては、試技をするほどになっていたのです。6年のときは、学級委員を一度もさせてもらえなかった私は、「体育部長」をさせてもらいました。給食の無い時代でしたから、手作りの昼飯がほとんどだったのですが、そのときにも、「いなり寿司」があったのです。

 『中国では食べれないよなあ!』とあきらめていたのですが、なんと、今日、家内が作ってくれたのを6つも食べてしまいました。『美味しかった!』の一言に尽きます。福州の店に、「油揚げ」はあるのですが、しっかりと重量感のあるもので、日本のように、巾着のように開いて、酢飯を入れて、いなり寿司を作れるようにはなっていないのです。じつは先日、家内の妹が送ってくれた小包の中に、「味付けの油揚げ」が入っていたのです。それを使って、家内が今日作って、そっと出してくれたわけです。その小包の中には、「イカの塩辛」、「わさび漬け」も入っていました。炊き立てのご飯にのせて食べたのですが、普段は一杯なのにお代わりをしてしまいました。福州に日本食品を売っている小さな店はありますが、種類もわずかですから、塩辛やわさび漬けなどはありません。日本食品は無くても大丈夫なのですが、こうして食べてみますと、自分が「真正の日本人」なのだと思わされるのですね。何十年も食べてきた食べ物が、嗜好を決めるのですから、中華料理がどんなに美味しくても、日本では、どうということのない通常の食物が光り輝いて見えますし、高級で高価な日本食品以上の価値を、舌と胃袋が感じているのです。

 外国住まいの経験の長い義妹が、『こんなもの食べたいよね!』と思って送ってくれたわけです。眠った子を起こされた私は、『塩辛も食べてしまったし、これからどうしようか?』と思ってしまうのです。でも「宇宙船」に乗り込んでいる日本人飛行士・若田光一さんは宇宙に長期滞在するのですから、まず「塩辛」も「いなり寿司」も食べられないのでしょう。私たちのほうが恵まれていることに、感謝しないといけないようです。でも日本食とは、こんなに美味しいものなのでしょうか、改めて納得したところであります。来月は五月、日本では、《山ホトトギス初鰹》の季節になるのでしょうか。うーん、胃袋が羨ましがっています!

(写真は、HP《カトミエ》の「いなり寿司」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。