2009年4月17日金曜日

踏春


     「あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、
     兄弟の家に行くな。近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。 」

 「アイデンティティー(identity)」ということばがあります。英語の訳語は、「正体」とか「身元」と訳したらいいのかも知れませんから、『私は誰?』、『どうしてここにいるの?』、『これから何をするの?』という問いかけになるでしょうか。また、「ルーツ(root)」は、「起源」とか「祖先」になるでしょうか。私たち日本人の正体ですが、かつて、「単一民族国家」を形成してきた「大和民族」であると言われていましたが、今では、そういったことを声高に言う人はいなくなりました。としますと、「混血民族」であることに間違いはありません。

 中国に参りまして、まもなく三年になろうとしています。この間、多くの人と出会ってきましたが、昨年末、私たちのお世話をしてくださる方の友人が来られ、時々、我が家にも来られるのです。その彼女が、家内の召された兄の令夫人に、びっくりするほどそっくりなのです。この方だけではありません、『エッ!○○さんにそっくり!』という方に、これまで何人も会ってまいりました。お会いした方ばかりではなく、私の家内は、最近は中国人に思われていて、町で路を聞かれては、二度に一度は答えることができるようになっているようです。同じ土地の上で、同じ空気を吸い、水を飲み、食材を食べていますから、風土に見合った顔つきになってくるのでしょうか。人間とは、それほど風土に見合ったものになるのかも知れません。

 それもそうでしょうけども、民族的には、ほとんど代わらないのではないでしょうか。私の血の中に、中国人の血も、朝鮮民族の血も、南方民族の血も、イルクーツク人の血も流れているに違いないからです。ことのほか福建省は、日本に近く、長い年月にわたって文化交流や人間の往来があったからでしょうか、ことばや習慣が似ているのです。こちらの方言の「闽南话(台湾語とほとんど同じ)」で、「いち、にい、さん、しい・・(五以上は違いますが)」は、日本語と同じですし、『エッ!』と思うほど似ていることばが、方言の中から聞こえてきます。また「黄檗宗(禅宗)」の日本での開祖は、私たちの隣町の福清の出身の「隠元」なのです。そういった交流や往来を、文献的に研究したら、面白い発見が出来るのではないかと思っています(そういった研究がなされていますが)。ポリネシア人の友人がいますが、体型は別にして、日本人とほとんど変わらないのです。

 先週、福建師範大学の日本語学科の「スピーチ・コンテスト」に行ってきました。私たちと親しく交わりをしています一人の学生が、日中関係は、「一衣帯水」の関係にあることを語っていました。彼らの話を聞いていて分かったのは、多くの若いみなさんが、日本語と文化を学ばれ、こちらで生活している日本人との交わりを通して、良い体験をしていることでした。かつての偏見や誤解が氷解して、日本の良さと弱さとを、しっかりと理解したうえで、良好な関係に回復することを願って、「架け橋」になろうとしているのです。

 子どもの頃に、聞いていた中国人のイメージは、長いキセルでプカプカと煙草を吸って、働くことが嫌いで、動きが鈍重だというものでした。こちらで私がお会いしている中国のみなさんは、くよくよしないで、豊かな感情の持ち主で、困難を上手に跳ね除け、実に勤勉ですし、行動も敏捷なのです。『あれっ!』と思うことも、文化と習慣の違いですからありますが、悪いのではないのです。彼らだって、『あれっ!』と、日本や日本人について思われることはたくさんあるのでしょう。互いが、相手への《要求》を引っ込めて、《理解》をもったら、素晴らしい関係を再構築することが出来るはずです。「踏春(ta chun)」と書いて、「春に郊外にピクニックすること」と日本語に訳すのですが、春の気分を豊かに言い表した、素晴らしいことばを知りました。このように、漢字の恩恵を受けたことを、日本語を教えながら、痛切に感じております。様々に「近さ」と「親しさ」、そして「懐かしさ」を感じさせられてなりません。

(写真は、わが借家の裏庭に咲いた可憐な春を告げる「花」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。