父と兄とサーカス
「美しき天然(武島羽衣・作詞、田中穂積・作曲)」の曲がスピーカーから流れて、観客を誘うサーカスが街にやって来たのです。拳骨親爺でしたが、子どもを喜ばすのが好きだった父が、われわれを連れ出して、山の中から、大挙して見物に行きました。
旅回りで、面白いピエロの寸劇や、綱渡りや、ライオンの曲芸もあったようです。思い出が余り鮮明ではないのは、サーカス見物に集中していなかったからかも知れません。私のすぐ上の兄が、大変な悪戯小僧でした。父に一番叱られた子で、学校でもどこでもガキ大将で、何時も喧嘩をしたり、落ち着かない兄だったのです。ところが大変優しい兄で、彼からは殴られた記憶が、まったくないのです。その兄が、サーカスを見ないで、サーカスを見ている人たちを振り帰って見て、彼らの食べている物に関心を寄せていたのです。その兄に、父は、『よそ見をしてないでしっかり見ろ!』と言っていたのを、昨日のことのように覚えています。
1800年代中期だったと思いますが、ドイツ敬虔主義の流れを汲む人が、自分の子たちを、町に下宿させて勉強をさせていました。ある時、その町にも、サーカスがやって来たのです。初めての経験だったのでしょうか、親から離れている事をよいことに、初めての見物を決め込んだのです。ところが、その日、彼らのお父さんが田舎から出て来て、下宿を訪ねたではありませんか。その下宿先の主人に尋ねると、『坊ちゃんたちは、町に来たサーカスを観に行っておられます!』と告げたのです。するとお父さんは、そのサーカスの行われた仮設天幕に、入場券を買って入りました。きっと大変なことになるに違いありません。
敬虔主義の背景の家庭の子が、サーカスを見学するなどと言う事は、ほとんど許されないことだったからです。ところが、夢中になって観ている子どもたちの上の方に席をとって座ったお父さんが、サーカスに集中している彼らに向かって、『クリストフ、お父さんもここで観ているからね!』と声をかけました。怒られて当然なのに、自分たちと同じよう、サーカスを楽しんでくれた父親を、後になって、『そう言った父でした!』と、クリストフ・ブルームハルトが述懐しているのです。
そう言った父の感化を受けて、彼は、父親と同じ道を歩むのです。バート・ボルという村には、ヨーロッパ中の人たちが彼の話を聴きたくて集まって来たのです。心も体も、すっかり癒された人々で溢れていたと記録されています。子供時代の体験、特に父親との体験は、その人の一生を大きく左右するようです。
生きていれば97歳の誕生日を迎えたであろう父を、懐かしく思い出している「立春」間近かの夕べであります。
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