2007年3月17日土曜日

わが手にある将来!

 『過去は変えられないが、将来は私たちの手の中にある。無関心ではいけない。無関心が常に加害者を助ける。』と、エリ・エーゼル(ノーベル平和賞受賞者)が言っています。ホロコースト(大虐殺)の生き残りで、ユダヤ民族として悲惨な過去の体験を持ちながら生きて来た人のことばです。

 先日、娘が訪ねてくれました。『どんな風に生きているのだろう?』と思ってでした。久しぶりの寛いだ会話の中で、『お父さんは、よく怒っていたよね!』と言っていました。本当にそうでした。血筋のせいにしては、兄たちや弟に申し訳ないのですが、「親爺譲り」の単細胞で「短気」な人間だったのでしょうか。それでも加害者であった4人の子どもたちは、『よく育ったな!』と思うのです。家内が、しっかりと補ってくれたからなのですが。若いころは、道で肩をぶっつけられると、振り向きざま相手を殴っていました。売られた喧嘩はいつも買っていました。兄たちにしごかれて強かったからです。

 そういった過去は変えられないのですね。恥じ入るばかりです。殴った人には、お詫びをしたい気持ちで一杯です。もう年をとってしまって、喘息気味で喧嘩どころではありませんが、「不正」に対しては、いまだに血気盛んなのに、驚かされます。こういった「短気」な国民性が、あの侵略戦争を起こしたのに違いありません。父の世代の罪に対して、自分は同罪だと思って恥じ入るのです。

 でも、私の手の中には、まだ「将来」が残されてあります。『なるようにしかならない!』のではなくて、過去の過失を踏まえて、『そうでない平和な明日の建設をして行く責任が、私にも私の国にもあるのだ!』ということが、エーゼルのことばで分かります。

 同胞600万人もの命を奪われた彼が、変えられない「過去」にではなく、関わることの出来る「将来」に、思いを向けていることに教えられます。きっと私の娘は、「変えられれている父親」を見に来たのではないでしょうか。さてさて、がっかりして帰って行ったのでしょうか、感謝して帰って行ったのでしょうか。

 喧嘩ではなく「和解」のために、残された日を生きて行きたいと心から願うこのごろです。

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。