2007年3月9日金曜日

『あなたは大丈夫!』


 『あなたの様な方は決して精神病にはならないでしょうね!』とよく言われてきました。悩んで考え込むようなことが無かったからです。加害者であっても、被害者であっても、何があっても、一日の終わりになると、すぐに眠りについて、一晩たつと、すっかり忘れてしまう性分でした。これも大いびきをかいて寝てしまう父譲りだったのです。その父と男の子4人の「5人の子ども(!?)」を、私の母は育てたのです。小柄でしたが、ガンバリ屋でした。父は、兄弟の中で私だけを、私立の中学校に行かせてくれました。

 ちょっとえこ贔屓だったようです。同級生には、医者や社長や中央競馬会の調教師の子がいました。父兄会の時に、そんな彼らのお母さんに、『負けたくなかった!』のだそうです。大人になって、母がそんなことを、ふともらしていました。ですから、週に一度は都心の有名なデパートに行っては、食材やおしゃれ着を買い込んでいたようです。そういった母の負けん気を、どうも受け継いで育ったようです


 家内との間に、男の子二人と女の子二人が与えられました。その養育のために、一生懸命に働きました。本業のほかに、1つの会社を持っていて、夜昼働いたのです。

 子育てが終わって、子どもたちが結婚して孫が出来た頃のことでした。転倒して利き腕を怪我してしまったのです。どう力を入れても腕が上がらないです。生まれて初めてのことでした。検査の結果、「右肩腱板断裂」だったのです。すぐ手術をして、丸二日間、ベッドに固定されて牽引されてしまいました。寝返り1つ出来ない不自由さが、こんなに辛いことかと知らされ、手術前に、『実は、この病院で手術後に自殺した人がいるんです!』と聞かされました。その気持ちに誘惑されたのも事実です。
 
 でも回復は奇跡的でした。と言ってもして、回復には8ヶ月ほどもかかりましたが。機能回復の途中の事でしたが、遠い山を見つめていましたら、ポロリと涙が落ちたのです。がんばって生きて来たのに、『腕が利かない!』、過去と将来とが断絶してしまったように感じたのです。この涙を見た家内が『ヤバイ!』と思ったのでしょうか、子どもたちに緊急連絡をとりました。長女はシンがポールにいましたので来られませんでしたが、3人の子が入れ替わり立ち代りやって来て、私を外に連れ出そうとしたのですが、『左腕をまた断裂したらどうしよう!』との恐れで外出できないのです。完全な鬱状態でした。

 そんな状態が2~3週続いたのでしょうか、子供たちの訪問、そして初孫誕生の知らせで、完全に回復したのです。『孫を抱ける!』と言う希望が湧き上がって来たからです。

 精神疾患は、風邪のようです。誰でもいつでもかかるのです。『大丈夫!』と過信していると、ひきますよ。ご注意を。

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。