2007年3月1日木曜日

「上海帰りのリル」


  幼い頃、ラジオから流行歌が流れていました。意味は分かりませんでいたが、覚えた歌が数多くあったのです。ある歌を、高校を卒業して何年も経って、再会した同級生が、しみじみと歌っていたのです。新宿の酒場ででした。私は25で酒をやめましたから、飲み屋に出入りする事はまったくなかったのですが、仲良しだった彼の誘いで、久しぶりに入ったのです。その時、彼が歌ったのが、『上海帰りのリル』でした。

 何かを思い出そうとしながら、哀調に満ちて歌っていたのが印象的でした。その晩、彼の家に泊めてもらったのですが、多分一番良い部屋だと思うのですが、海軍の軍服を着、軍帽をかぶった20代後半ほどの青年の写真が掲げられてありました。彼のお父さんの遺影でした。彼の家には、お父さんがいなかったのを知っていましたし、遊びに行きますと一生懸命に働いて彼を育ててきたお母さんがご馳走してくれたのです。きっと、お母さんの部屋にあった写真を、結婚した彼が引き取ったのでしょう。彼は、お父さんを思い出し、お父さんのいない子供の頃に流行った歌を思い出して歌う、そういったパターンで酒を飲むのだろうと思わされました。

 この彼が無類の悪戯小僧で、何時も担任に怒られていました。同じように悪戯をしても、彼が見つかって彼だけが叱られていました。そんな彼をいつも連れ歩いた仲良しでした。父親のいない寂しさがあったのでしょけど、父に愛されて育った私には、彼を理解してあげる能力はありませんでした。大人になってがんばったのでしょうか、ある会社の社長をしていました。
  
 父親のいない同級生、小学校からずっと、どのクラスにも何人もいたのです。やはり、戦争の被害を受けた最後の世代が我々なのだと思うのです。そういえば寂しそうでした。彼の世田谷の家に行くと、リトル・パティやコニー・フランシスの歌う歌が、いつも流れていました。

 もしかしたら、彼のお父さんが海軍でしたら、飛行機に乗っていた可能性もあるわけです。そうしますと、私の父は軍用飛行機の製造に関わっていましたから、父の手の入った飛行機に乗って出撃したかも知れません。想像ですが。 攻撃して死なせても戦死して亡くなっても、人の人生を戦争は狂わせた事は確かです。

 父親の無事の帰還を信じて待っていた幼い彼の耳に、聞こえて来た流行歌の歌詞の「上海帰りのリル」が、強烈に彼の父への思慕の念と重なるのでしょうか。

 子の世代にも、孫の世代にも、同じ過ちが繰り返されないことを切に願ってやみません。 それにしても彼はほんとうに悪戯小僧でした!
(写真は、上海観光局による「明朱電視台」)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。