2007年3月4日日曜日

「アリランの歌」から「北国の春」まで


 朝鮮民族の望郷の歌である「アリランの歌」を、目を閉じた父が懐かしそうに歌っているのを何度も聞いたことがあります。戦前、京城に住んで、仕事をしていたことがあった若き日の父には、彼の地での出来事を思い起こさせる歌だったのでしょう。ところが、この歌の替え歌を、上の兄が歌っていました。それは朝鮮半島から、無謀にも強制連行して酷使したみなさんを侮辱した歌詞でした。運動部の仲間から聞き覚えで披露していたのです。 悪意はなかったのですが。

 なぜ日本人は、隣国の朝鮮半島や大陸のみなさんを侮辱するのでしょうか。インスタント・カメラのことを「バカ○○○カメラ」と言うのですが、『バカでも○○○でも写せるカメラ!』との意味なのですが、多くの人は知らないで、このことばを使っています。侮蔑用語ですから、決して使ってはいけません。


 記録を残すための文字が無い、着る物も持たないで裸、食べ物を栽培する術も知らなく空腹だった我々の祖先に、文字も、糸をつむいで織って布を作る技術も、穀物や蔬菜の栽培法も、錬金術も、みんな教えてくださった国の方々なのにです。しかも、多くの方々は日本に帰化して下さったのです。ですから、私たちの体には、朝鮮民族や中国民族の血が、色濃く流れているのです。我々日本人が「純血種」だと言うのは、民族的にはありえないのです。能力も容姿も肌の色もまったく変わりがありません。もちろん能力も資質もですが。


 それなのに豊臣秀吉は、「朝鮮征伐」と銘打って朝鮮半島に派兵して、この国を蹂躙しました。まったくの暴挙でした。また日清戦争に勝ったと錯覚して以来、この中国の資源や市場を奪おうと、軍隊を駐屯させ、物資の運送の鉄路を敷き、工場を建設し、石炭やさまざまの資源を略取し、ついには、侵略戦争までしでかしたのです。朝鮮半島も東南アジアも同じように侵略したわけです。

 私たちの愛唱する演歌だって、その始まりは、大陸や朝鮮半島にあります。いつでしたか、私たちの町にある大学の大学院に留学していた方が、「北国の春」を、きれいな中国語で歌ってくださったことがあります。これは逆輸入でしたが、悪びれずに喜んで聴かせてくれたのです。

 かつての侵略国においで下さって、謙遜にも日本の教師から工学を学んでくださって、流行歌も覚えてくださり、冷ややかな目を向ける人たちの目を気にしないで、何年も学んで学位を得て帰国された方でした。この方とは、まだ交信が続いております。

 それで今度は、私が家内の手を引いて、この国で、この国の言語と文化を学ぼうと願ってやって来たのです。中日の友好の一環となろうとしてです!
(写真は、100年ほど前の中国の旧家の「消火器」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。