叱り上手
就学直前に、私は肺炎にかかって、町にあった国立病院に入院してしまいました。それで、父が用意してくれた制服や靴を着用して、小学校の入学式に出ることが出来なかったのです。それ以来、3つの小学校に学んだのですが、4年生ころまで、風邪と肺炎をくりかえしていました。医者に、『今度肺炎になったら命の保証はありませんよ!』と言われたほどでした。ですから出席日数は極端に少なかったのです。たまに学校に行きますと、病弱なのだからじっと座っているかと思うと、授業中に立ち歩くし、悪戯はするし、してはいけないことをしてしまうし、廊下だけではなく校長室にまで立たされる日々でした。
ですから担任に、よく怒られたのです。どの学期、どの学年の通信簿にも、『まったく落ち着きがありません・・・生活態度が・・・』と記されていました。怒られても、自分が悪いことが分っていましたので、殊勝な気持ちで立たされていたのを覚えています。でも反抗的であったこともあります。でも先生から叱られた事を、今になって心から感謝しているのです。お元気かどうか分かりませんが、みなさんにお会いして感謝を言いたい気持ちで一杯です。
慶応義塾の名物塾長だった小泉信三の逸話が残っています。電車に乗っていた時、座っていた慶応の学生に向かって、『立って、この方に席を譲って上げなさい。』と言ったのだそうです。叱ったのではないのですが。言う人に勇気が必要ですし、聞く人にも従順が要求されます。私は、人としての在り方を塾生に教えた小泉信三に本物の教師像を見るのです。
私を教えてくれた先生の中に、おばあちゃんの内山先生がいました。よく叱ってくれたのです。でも叱っただけではありませんでした。ほめてもくれたのです。「学習障害児」の小学2年生の私を、諦めなかったのです。もう一人、中学の3年間、担任をしてくださったK先生がいます。彼は、決まって教壇の上から降りて、始礼と終礼をされました。どうってこと無いのですが、必ず、私たちの立っている床に降りられて、『私はあなたたちと同じ所に立っていますよ!』と言ってくれていたのだと思うのです。
そのほめられた事と、教壇を降りられた先生のあり方が原因したのでしょうか、「学習障害児」だった私は、しばらくの間でしたが教員をさせていただいたのです。
交番のおまわりさんもおじさんも、アルバイト先でも、仕事先でも、必ず叱ったり、注意してくれた方たちがいたのです。 「叱り上手の大人」が、この時代に、もっといたらいいのですが。
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