2009年1月24日土曜日

「崇高な誓い」を聞いて



 私の在米の友人に、『エイブ!』と自分を呼ぶ人がいます。なぜそうなのかは、彼の事務所に行ったときに分かったのです。壁に、『奴隷解放の父!』と言われた「アブラハム・リンカーン」の肖像画が掲げてあったからです。生粋の日本人なのですが、リンカーンを尊敬している彼は、自分をそう呼んでいるのです。その彼が私に、『何て呼んだらいい?』と言うので、『ジミーと呼んで!』と答えたのです。私の名の由来は、今は亡き、往年のハリウッド・スターで、ジェームス・ディーンから採ったのですが。二本立ての旧作を上映する国分寺名画座の常連であった中学生の私には、忘れることのできない俳優なのです。十代の私は、ジーパンやジージャンを上野・御徒町のアメ横で買って、ブーツの革靴を履いて颯爽と歩いていました。残念ながら髪の毛も目の色も、彼のようではなかったのですが、心は「エデンの東」のキャル、「理由なき反抗」のジム、「ジャイアンツ」のジェット、そのものでした。彼はハンバーガー、私はあんぱんの違いを超えて、そうだったのです。




 さてリンカーンですが、1809年にケンタッキーの農場の丸太小屋で、開拓者の子として生まれています。公の教育を受けたのは2~3年だったそうです。実母と9才で死別します。お母さんから、素晴らしい感化を受けているのですが、その1つは読書だったようです。「○書」や「ワシントン伝」は、彼の愛読書でした。さまざまな職業に就くのですが、イリノイ州の下院議員になります。二十代の半ばに、法律を学んで弁護士を志し、資格を取得するのです。1860年に、アメリカ合衆国大統領に選任され、1861年3月4日に就任式 が行われ、第16代アメリカ合衆国大統領に就任するのです。就任後の1863年11月19日、ゲディスバーグ国立戦没者墓地の奉献式場で、私たちが歴史で学んだ、有名な演説を行います。「人民の人民による、人民のための政治」ですが、実に3分ほどだったといわれています。1865年4月14日、志半ばで 暗殺され召されています。アメリカでは、初代のワシントンについで、人気を博した大統領なのです。




 このエイブ・リンカーンの掲げた「奴隷解放宣言」こそは、アメリカの良心であり、積年のアメリカの悲願でありました。しかし人種差別は、想像を絶する形で残され、多くの差別撤廃運動が繰り広げらるのです。このリンカーンの遺志を継いで、「公民権運動」を起こしたのが、マーティン・ルサー・キング師でした。彼もまた1978年、テネシー州メンフィスで凶弾に倒れています。”I Have a Dream”は、彼の説教の主題でした。そのキング師の夢とは、『・・・いつの日か、かつての奴隷の子たちと、かつての奴隷の所有者たちの子たちが、兄弟愛というテーブルで席を共にできることを!』でした。




 1月20日(アメリカ時間)、リンカーン大統領やキング師が、高く掲げた志を背に、第44代アメリカ合衆国大統領にオバマ氏が就任しました。彼は、宣誓式の就任演説で、『・・・60年にもならない昔だったら、この近所のレストランで注文さえさせてもらえなかったはずの父をもつ男が、なぜ今こうして皆さんの前で最も崇高な誓いをたてることができたのか・・・』と語っていました。大変に困難な時代のアメリカの舵取りをして行こうとしているアメリカ大統領が、建国の父たちの理想、公義を愛し、理想の国造りに専心してきた人々の志を負いながら、知恵深く政(まつりごと)を行うことができるようにと願っております。アメリカ国民が選んだ器でありますから、アメリカ国民は、彼を支え激励していくことでしょう。ジョージ・ワシントン大統領には、トマス・ジェファーソンやアレキサンダーー・ハミルトンという器が補佐役としていたように、オバマ大統領にも、優れた知恵深い助言者があることを、心から願うのです。この4年の任期に、格別の祝福のあることを切に願って、大統領就任を祝い、夫人とお二人のお嬢さんのたちの上にも、守りと祝福を願うものです。

(写真は、「アブラハム・リンカーン」、「アメリカ国旗」、「キング牧師」、「オバマ大統領/筑紫直弘イラスト」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。