2008年11月29日土曜日

冬支度


 築三十年の教員用住宅に住み始めたのが、酷暑の7月でした。引越し先が、緑の木の茂る川辺の高台ですので、クーラーを数度しか使わないですむほどで、夏を越えることが出来ました。さしもの暑さもいつの間にか峠を越して、気づくと赤とんぼが飛び始め、ススキが雑草の中から背伸びをしてきていました。暦の通りに季節が移り変わって、毛布を出し、布団をかけなければならない晩の到来となりました。それでも、『半そでで大丈夫かな?』と思うほどの日中が時々あるのは、やはり亜熱帯気候を感じさせられております。道路の路側帯には、ブーゲンビリアやハイビスカスや名を知らない黄色い花が、山茶花に似た花が庭先に咲き、裏庭の出口の角の金木犀の木には、まだ小さな花が咲いて、目を楽しませてくれます。そんな目を楽しませてくれ初冬を迎えております。

 

 先日、寒い日があって、身をかがめたのですが、『そうだ、冬支度をしないと!』と感じて、建て付けの悪い窓を修理を頼みましたら、大工さんが奥さんをお伴にやって来て、閉まらない窓を修理し、隙間を埋めてくれました。四ヶ所の木製の窓も冬支度完了ですが、まだ隙間があって、息子の送ってくれた補修用テープで埋め始めています。それでも、以前住んでいました天津に比べたら寒さは比べられません。もう11月の下旬ですから、天津のアパートの全戸には、温水の配管が完備されていて、暖房が始まっている頃でしょう。私たちの住んでいたアパートのすぐそばに、大きな煙突があって、24時間石炭が燃されて循環用の温水を沸かせているのです。いつでしたか漏水して、部屋が水浸しになってしまったことがありました。すぐに修理してもらいましたことがありました。その暖房のせいで、津河の流れが氷結するほどの寒さの中でも、室内は、Tシャツでも過ごせるほどだった野毛、実に羨ましい限りです



 そういった暖房設備のない福州では、凍ったり雪が降ったりしない代わり、寒いのです。それで自前で暖房を備えなければならないのです。ですから、部屋の中ではコートを着て、毛糸の帽子をかぶって、ふとんの中に足を入れて、昨年の冬は過ごしたほどです。夜間は、ベッドが温まらなかったのです。それで、寒がりの私用に日本から持参した毛布を出して使い始めたのです。ところが、100ボルト仕様なのに、220ボルトのコンセントに差し込んでしまったら、瞬間的に加熱で壊れてしまいました。それで寒さをしのびながら、昨年の福州の冬を過ごしたのですが。今年は準備万端整っていますので大丈夫です。すでに日本仕様ですが、新しい電気毛布を入手してあります。よくよく変圧器を使うことを心していかないといけませんが。

 近いうちに、室内用の暖房器具を調達しないといけないようです。窓の隙間はふさがれたのですが、こちらの天井は日本に比べて40センチほど高いのです。暖房能力の高いものが必要かも知れません。次男とチャットをしたときに、『暖房はどう?』と心配をしてくれたのはうれしいことでした。それでも、東京のほうが寒いに違いありません。霜は降りるし、霜柱も張りますし、窓は結露ができ、水は凍り、雪だって4度ほどは降るからです。

 さあ、冬が近づきました。インフルエンザを恐れないで、うがい手洗いを励行して、風邪の予防線を強固にしていきましょう。こちらの正月、125日から始まる「春節」の休みには、子どもたちや孫たちに会えることを願いつつ。 


 
                              

(写真は、住み始めたアパートの窓、ブーゲンビリア、天津の五大道にある租界時代のの建物です)


0 件のコメント:

Powered By Blogger

自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。