2008年11月15日土曜日

カレー・ライスが美味しいと


 この2ヶ月、週末の土曜日、我が家に10数名の客人が見えています。家内が日本語を教えていた学生を、毎週人ほどお招きして、日本人の誰もが大好きな「カレー・ライス」を振舞っているのです。ただ食べるだけではなく、日本からの留学生や日本語教師をされている人の方々にも加わっていただいて、「日本語で交わる会」をもっているところです。最初の日には、緊張していたのか遠慮していたのでしょうか、中国人の学生たちは残していましたが、次回の第二陣からは、要領を得たのか、お替わりするようになりました。もちろん、日本からの留 学生も、大喜びをしてくれて、遠慮がちにお替りをしてくれている、そんな週末を過ごしているところです。

 数週間前は、『実家に帰って書類を作る必要があって行けません!』との連絡が入って、来ることができなかったのですが、その代わりに大学で教壇に立っておられる私たちの友人が二人見えて、同じように「カレー・ライス」を一緒に食べる機会がありました。わが家の4人の子どもたちも、《親爺の作ってくれたカレー》を喜んで食べてくれたのですが、こちらでは子どもたちの代わりに、若い友人たちに振舞うことが出来て、とても喜んでいるところです。

  その食事の間に、『中国人とイスラエル民族には共通点があるんです!』と、友人が話してくれました。中国人もイスラエル人も、自分自らなので しょうか、強いられてでしょうか、「外向性」と言う共通点を持っているようです。全世界に活躍の舞台を求めて出掛けて行く、外向的な民族なのです。冒険心に富んいるのでしょうか、ど こに行かれても、強く生きていける力を持っておいでです。ですから、勇躍出かけて行く民族なのです。これまで私は、ハワイ、サンフランシスコ、ロスアンゼ ルス、ポートランド、インディアナ、サン・パウロ、ブエノスアイレス、トロントなどの街を訪問する機会がありましたが、どこにも「中華レストラン」があり、中国人のみなさんが一生懸命に働 いている姿を見受けたのです。彼らは、しっかりと自分たちの文化を保ち続けて生活して来ている のです。ですから、まさに横浜の「中華街」は、その典型的な例なのかも知れません。あの朱に塗られた門を入った一角は異国であって、中国そのものではないでしょう か。自分たちの民族性を決して捨てていないのです。




 自分の生まれ育った国を愛し、その文化を尊んで継承することは、素晴らしいことではないでしょうか。数年前にシンガポールに参りましたときに、町の一角に、中国人 の初期の入植者のみなさんの生活ぶりを再現した「記念館」がありました。その多くの方々は、ここ中国の福建省から行かれたようです。特に福清市は、「華僑 の故郷」と呼ばれるほど、多くの人たちが国外に出かけて行かれ、今日も多くの方々が諸外国で活躍されておいでなのです。異国におられても、強固な同朋意識が あって、お互いに助け合い支え合って生きてきている姿は、憧憬の至りであります。私が日本でお会いした中国からの留学生のみなさんも、学問を愛し、鷹揚な心で私たちに接してくれ、過去と今とをはっきりと区別しながら溝を埋める努力をされておられました。私たちが過去に囚われているのとは違って、私のお会 いした方たちは、自由で開放的で友愛に満ちていました。自分たちの国や民族性や歴史性に対する誇りを、確かに持っておられる様子は、実に羨ましいほどでし た。私たちも、しっかりと自分の国に対する愛と誇りとを持たなければならないのだと思わされた、いくつもの出会いだったのです。



 

 私たちも、自分の国を愛するのは当然ではないでしょうか。さあ真直ぐに頭をあげて、背筋を伸ばそうではありませんか。今、そ して将来、アジア諸国に対して、世界に対して、すべき責務を覚えながら、「誇れる日本」を再建して行きたいものです。次の次代を担い行く子どもたちに、受け継いでもらえる「夢」や「幻」や「理想」を掲げたいものです。人の言葉の端を針小棒大に取り上げて、揚げ足取りのように振舞う、狸や「井の中の 蛙」のようにではなく、大海原を縦横に回遊する鰹や飛魚のように、また大空を翔けわたる若鷲のように、闊達で、元気で、溌剌な「日本人」になって欲しいからです。

  日本人の私が作った、日本の定番の「カレー・ライス」を、『美味しいです!』と言いなが食べてくれる中国の若い友人たちの横顔を眺めていたら、中国 と日本との「明日」は、キラキラと輝くような明るさに満ちていることを確信させられてならないのです。

(写真は、日本を訪問された時、日本の学生たちと野球を楽しまれた国務院の温家宝首相です)


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。