2008年11月27日木曜日

『时间过了很快!』


 『月日は百代の過客にして、ゆきこう年もまた、旅人なり。』、と読んだ中学1年の時に、月日が旅人に比喩されることは、自分とは無関係でした。また、『少年老い易く学成りがたし。一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草の夢、楷前の梧葉既に秋声。』、を漢文で学んだ時も、時間の大切さを感じることもありませんでした。自分に与えられた時間は、「永遠」のように感じていて、人生は前途洋洋に思えたのです。ですから芭蕉や朱熹が、何を言ってるのかの理解は全くなかったわけです。

 ところが、瞬きの間のように、年月が過ぎていきました。あるとき、生まれて間もない長男を乳母車に乗せて散歩していました。向うからやって来た小学生の女の子たちに、『おじちゃん!』と呼びかけられたのです。傍に、おじさんがいるのだと思っていましたら、こちらに向かって、また呼びかけたのです。初めて、そう呼ばれて、青年だとばかり思っていた私は、『どうしておじちゃんなの?』と聞きなおしましたら、『だって、赤ちゃんがいるじゃあない!』と答えていました。もう、すっかり、おじさんだったわけです。



いつも年よりも若く見られてきました。とうに成人式を終えていたのですが、駅前の交番をタバコをくわえて歩いていましたら、お巡りさんに呼び止められたのです。未成年者の喫煙容疑でした。どうしても高校生にしか見えなかったのです。それで定期券を見せて納得してもらいました。その実年齢と見かけ年齢には5才ほどのギャップがあって、今日まで続いています。私には兄が二人、弟がひとりいるのですが、あるとき、次兄が、『誰が一番上に見えますか。順番を当ててみてください!』と、ある方に尋ねたのです。一番年上が弟、二番が次兄、三番が長兄、そして私でした。弟はひげを生やしていますので、ふけて見えるのでしょうか。成人の年齢というのは、7歳若く見える人と、7歳ふけて見える人がいるそうです。同級生も14歳の開きがあるわけです。髪の毛がなくて禿げていた旧友のお父さんを知っていますが、40過ぎた頃、私たちのクラス会がありました。彼は、お父さんとまったく同じような頭髪で、顔かたちもそっくりになっていました。JRAでは有名になっている彼ですが。




 最近では、『おじいさん!』と言われます。今度は、辺りを見回しません。自分の事だと、しっかりと分かっているからです。孫が4人いて、自慢しては彼らの写真を見せるのですから、そう呼ばれて当然ですし、いやな思いがしないのが不思議です。髪の毛が多すぎて、寝起きには鳥の巣を突っついたようにぼさぼさになっていました。それで、婦人用のネットをかぶって寝るほどでした。ところが、ある日、鳥羽のホテルで講演会があって出かけましたとき、朝起きて、洗面していましたら、『いったい、ここに写って見えるのはなんだろう?』と思っていましたら、それは、自分の頭皮だったのです。『・・と言うことは、髪の毛が少なくなってきたことなのか!』と始めて気付かされたわけです。

 何キロも何キロも走っても、高尾山を走って上がっても、夜通しアルバイトをしても、疲れなど感じたことがなかったのに、今日では、ものの十分も歩くと、一休みしたくなってしまいます。『时间过了很快!』、つまり『時間の過ぎ行くのはなんと早いことか!』、痛切に感じていこの頃、実に、「マゴマゴ」しているところです。

0 件のコメント:

Powered By Blogger

自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。