2008年7月4日金曜日

どんな思いで自分の子を眺めるのか


 『なんと悲しい物語だろう!』といえるのが、「菅原伝授手習鑑~寺小屋の段~」ですが、5年ほど前に、南信州大鹿村に三百年余り受け継がれている「大鹿村歌舞伎」で鑑賞させてもらいました。日本の伝統芸能にあまり興味を示さないまま過ごしてきた私でしたが、誘われるまま、初めて観ることができたのです。

  神社の境内での公演が、雨で急遽、小学校の体育館で行われるとのことで、会場の移動に手間がかかったのでしょうか、仕事を済ませて車で駆けつけて、ぎりぎり 間に合ったのです。始まる頃には雨が上がっていました。道真の一子の身代わりで、元家臣の子が犠牲の死を遂げる物語ですが、演技に引き込まれて涙がほほを 伝うほどでした。出雲阿国に始まる歌舞伎が、「川原乞食」と聞いていて、父も母も好まなかったこともあって、敬遠し続けてきていたので す。ところが、次女に誘われ、『断る理由を探せばあるけど、せっかくの娘の誘いだし、時間もどうにか都合をつけられるし、まあ参考のために!』 といって、家内と一緒に出かけたのです。ちょうど次女の夫が、近くの町の高校でJETという団体の英語補教師として勤めていて、どなたかに誘われたのだそうです。それで隣県にいました私に声をかけてくれたわけです。

  東京の「歌舞伎座」で観たのなら、それほどの感動を覚えることがなかったかも知れませんが、歌舞伎ご法度の江戸時代に、幕府に隠れながら山深い村で、こっ そりと 受け継がれてきた、粘り強さが興味を増幅してくれたからでしょうか。中部山岳地帯には、落ち武者たちの集落が点在していたといわれ ていますから、大鹿村も、その例にもれず、きっと平家の末裔たちの部落なのかも知れません。「武士の忠義」が、この演目の主題ですから、農業や 林業などに従事する人たちには、不必要な「義」に違いありません。でも武士の血を受け継ぐ彼らの祖先たちには、子々孫々に受けついてほしかった「武士(も ののふ)の心」だったのでしょう。それで、こういった、「武士物」、「侍物」が好まれて演じ続けられて来たに違いありません。その観劇が、私には「感激」 だったのです。

  家族のつながりよりも、主従の関係が優先されることに、武士の世界の厳しさを感じてならなかったのです。身代わりの首を差し出すように求める寺小屋の師・ 源蔵、そうする様に我が子に促した母、犠牲となって自らの首を潔く差し出した「小太郎」、その首実検をする小太郎の実父・松王丸、いやあ息を呑 むような場面です。人は、どの役割も演じたくないと思うのです。歌舞伎役者としてではなく、現実の世で、父として母として子として、また師としてもです。

  亡くなった父が、『我が家は鎌倉武士の末裔だ!』と言っていましたから、頼朝の部下なら、こういった忠義を避けられなかったかも知れません。昭和の代に生 を 受け、平成の世に生きる自分が、どれほど恵まれているかを知って、なんとなくほっとするのですが。あの日、子役で演じていた中学生たちは、どんな気持ち だったのだろうかと思うこと仕切りです。あの時、私と家内を誘ってくれた娘は、二児の母となり、アメリカの西海岸で生活をしているのですが、子を持った 今、どんな風に思い返しているのだろうか、また、一緒に観て、おひねりを舞台に投げたりした婿殿は、どんな思いで自分の子を眺め、育てて行こうとしている のでしょうか。

 叔父を太平洋の戦地に送り出した祖父母、今世紀の戦争にも、今まさに、そういった経験をしている親ごさんは世界中に数限りないのですが、ただ平和であることを願って、残される日々を、夫として父として爺として生きていきたいと願うのみであります。


 

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。