2008年7月22日火曜日

奥运会(aoyunhui)成功!


 ここ中国では、8月8日から24日まで行「北京オリンピック大会(奥林匹克aolinpike奥运会aoyunhui)」が、いよいよ近づいていております。1000キロ以上も離れた福州にいても、その盛り上がりの様を肌で感じことが出来ますきっとサッカーと卓球の予選会場になっています天津にいましたら、いや増しに盛り上がっている様子に、じかにに触れることが出来たことだろうと思われます。その天津で、1年ほど住んでいたアパートの「紫金公寓」の七階の窓からは、夕日に輝く全天候型のサーッカー会場の銀翼が、目と鼻の先に見ることが出来ました。その1年は、競技場の周辺だけではなく、街中の道路網が整備され、宿舎になる巨大なホテルやアパートが建築中でした。グーグル・アースで映し出されるのは、だいぶ前の航空写真ですから、実際には、驚くほどの変化が今は見られることでしょう。その1年前は、大型トラックが行きかう砂埃の工事中でしたが、もう、すっかり整備されて見違えるほどに綺麗になっているはずです。



 東京でオリンピックが行われたのが、1964年でした。その大会会場になった東京は、見違えるように近代都市化されていく様子を、それ以前の5年間に見せておりました。戦争が終わった焼け跡から、奇跡のように起死回生し、その東京大会は、戦後の復興の驚くべき頂点、いわば敗戦の惨めさへの訣別、新しい日本への再出発だったのではないでしょうか。首都圏と関西圏が、新幹線で結ばれ、都内には高架の高速道路網が張り巡らされ、見る見るうちに別世界が出来上がっていく様子に驚かされたものです。それ以前の新宿や渋谷や池袋は、一歩路地裏に入ると、お世辞にも綺麗な街だとはいいかねました。それが見違えるほどに変わっていったのです。ハードな面での変化は、人の心のうちのソフトさにも大きな感化を及ぼしたのです。もう44年も時がたつのですから、驚かされます。



 そうしますと、この8月8日午後8時に開会式が行われる「北京大会」、2010年に開かれる「上海万博」、2012年でしたか、広東省広州で催される「アジア大会」、こういった国際行事を通して、中国の沿海部が大きく変化していくに違いありません。その変化と共に、内陸部もたちまちのうちに変えられていくに違いありません。さらには、中国の愛するみなさんの心の中に、驚くほどの自信と確信とが帰ってこられ、大きな飛躍と祝福のきっかけとなるに違いありません。

 かつて奈良・平安の時代の日本の青年たちが、遥かに憧れた文明と文化に秀でた中国ですし、つい昨日まで、学問を志すも者たちが、孔子や孟子や老子に学んだのですから、そういった思想と学問を誕生させた国家であり国民の末裔に、心からの激励を遅らせていただきます。確かに難しい時代を幾たびも越えてきて、出遅れた観は否めませんが、中国のみなさんの永い年月に培われた底力をもって、遅れを取り戻され、更なる変化を遂げていかれ、「アジアの輝く星」となっていかれることを心から願うものです。

 スポーツの祭典は、おもに青年たちが、その力を競う大会ですが、明日を担っていく彼らが、国の名誉を背に、正々堂々と競技して、素晴らしい成果を遂げられますように。体育会系の世界で汗と涙を流した青春の日々を思い出しながら、素晴らしくスポーツマン・シップが発揮されることを、心から願っています。そういった競技を、拍手と喝采とをもって応援する私たちも、その熱い真摯な息吹に触れさせていただき、大いに刺激されたいものです。

 開会式と閉会式の間に行われるすべての種目の競技が、勝ち負けだけではなく、平和で和やかな雰囲気があふれ、祝福のうちに楽しくに行なわれ、地球平和と国際友好とのために益するとことを祈念し、中国と中国の国民のみなさんにとって、大きな祝福の機会である、「北京オリンピック大会」のご成功を、衷心より願います。奥運会成功!

(写真は、北京市の北京大会のメインスタジアム「鳥巣」、.真ん中は「天津オリンピックサッカー場」です)


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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。