2008年7月7日月曜日

被災者のみなさまに


 

 『雅仁、窓を開けろ!』、地震で家が音を立てて揺れると、必ず父が、そう命令しました。関東大震災を経験している父が、一番恐れていたのは地震だったのです。あの父の叫ぶ声が、いまだに思い出されてなりません。

 「天府の国」と言われてきた四川省は、5月12日午後二時半に、大地震に見舞われ、甚大な被害をこうむりました。被災されたみなさんに、このブログの主として、心からのお慰めと励ましを申し上げます。ご家族や親族と離別された悲しみに沈む多くのみなさんの上に、心からの同情とお慰めを申し上げます。お怪我をなさって入院や治療を受けられているみなさんの一日も早い回復を願っております。さらに復興のために労しておられる軍や警察や民間のボランティアのみなさんの安全と健康が支えられますようにと願っております。この困難な事態で、全体的な責任を負われる胡錦涛総主席、国務院の温家宝総理、省政府や県や市の指導者のみなさんが、指導力を発揮されて、すべての必要が満たされ、早期の復興がなされますようにと願っております。また世界中から寄せられています厚意があふれるほどのものであることを知り、心からの感動を覚えております。もう少し若かったら駆けつけたいのですが、気持ちだけは四川に向けております。

 6年ほど前に、人に会いたいと願って四川省の成都を家内と二人で訪ねました。その時、空港に出迎えてくださったのが、地元のツーリスト会社の添乗員と運転手のお二人でした。ツアー旅行を申し込んだつもりはなったのですが、降り立った私たちのために全食事と観光が用意されていたのです。チケットを買ったときに、よく確かめなかったので、思ってもみなかった恩恵をこうむることができました。お会いする約束の日が中日でしたから、ホテルの近所を歩く程度の願いしかも持たなかったのですが、二日目に、杜甫の草堂、劉備玄徳諸葛孔明三国志物語にかかわる「武候祠 」を見学させてもらいしました。

 三日目には、砂ぼこりの山道を延々と車に揺られて着いた、「臥龍」の「パンダ保護センター」の観光をしたのです。子どものパンダを抱かせてもらったのですが、彼はどうしているのでしょうか?そそり立つような渓谷に、この保護区がありました。道々、小さな部落があって、逞しく生きている少数民族の子供たちが嬉々として遊んでいる姿、家の手伝いをしている様子を見受けたのです。その地域の被災の様子の報道を、帰国中の日本で知りました。あの子たちも被害にあったのでしょうか。心配です。そこからの帰り道に、「都江堰(甲斐の武田信玄が、氾濫を繰り返す釜無川に堰を設けたモデル)」に寄りました。ここも被災がひどかったとお聞きしました。そこへの道筋で、ちょうど崖崩れがあって、3~4時間動きが取れなかったのです。『こういった山の崩落は日常的にあるんです!』とガイドさんが言っていましたから、今回の地震の被害の大きさを容易に想像することができるのです。その時、まさかこの地域が、大断層の上にあることは知りませんでした。通行止めの中、近所の子どもたちが、ゆでた卵やお菓子や水を売る声を、車の間でかけていた光景が、目に浮かんできます。

 四日目に、成都市内のホテルで友人ご家族と食事をしながら歓談のひと時を持ちました。友人のお姉さま家族がカナダから、友人のご両親が成都の南にある町から来られ、湖南省からの令夫人のご両親も加わって、その交わりの中に入れてもらったのです。この町で中国語の学びができたらいいな!』と願っての訪問でもありましたが、美味しい四川料理に舌鼓をうって、楽しく時を過ごしたのです。彼らの消息はお聞きしていませんが、震源地からはだいぶ離れタ街に住んでおられるので無事かと思っておりますが。

 聞くところによりますと、500年ほど前(1556113に、東隣の陜西省で華県大地震」があり、85万もの方々が亡くなられたそうです。20世紀になってから、中国ではマグニチュード6以上の地震が約800回発生していると記録されています。また、ここ福建省にも同じほど前に災害の大きな地震があったと聞きました。そういえば小学校の理科で、地球の真ん中にはマグマがあって、今も活動的であることを知らされましたから、いつ、どこでも、そのエネルギーが地表に現れてもおかしくないわけですね。『起こりうることは覚悟しつつ、平素は感謝しながら、喜ばしく生きていこう!』と、改めて思いました。恐れてばかりいたら、せっかくの人生を心配だらけで生きなければならないからです。

 改めて、被災者のみなさんのことを覚え、世界中の多くの方々の激励を背に受けて、明日に希望をつないで、今日を精一杯生きていってくださるようにと、心から祈念しております。

(写真は、チベット族の男性と「ヤク」という中国の牛の一種です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。