2007年4月5日木曜日

『妻を娶らば才たけて・・。』


 『君のこれまでの、ぼくに対する忍耐に心から感謝しているよ!』と、今日、糟糠の妻に言いました。今日は、二人の結婚36周年の記念日だったからです。短気で激しやすく喧嘩ぱやいけど、単純で浪花節のような私を、これまで支えて、耐えてくれたのです。

 与謝野鉄幹が詠んだ、『妻を娶らば才たけて、みめうるしく、情けある・・・』を、酒を飲むたびに、独身の私は高吟していました。歌っていても、深い意味など分からなかったのですが、「才長けた妻」とか「みめ麗しい妻」とか「情けある妻」こそが、理想の妻なのだろうと思っていました。私が酔って、この歌うのを聞いていた、これまた酔っていた隣り合わせのおじさんが、『君、そんな理想の妻はいないんだ!』と、諭してくれたことがありました。鉄幹を信じたらよいのか、このおじさんのことばを信じていいのか、若かった私は迷ったのです。

 それでも、何時か、そう言った女性に会えると思って、好きになってはあきらめ、愛をささやかれては逃げて、26まで落ち着きませんでした。その頃、東京の女子高で働いていて、年頃の少女たちの淡い恋の対象となっていたのです。男のいない社会ですから、こんな私でも、その対象とされていたのでしょうか。下駄箱には花模様の封筒や小さな包みが、いつも入っていました。下宿先まで追いかけても来ました。しまいには同僚や短大の教師や卒業生までもが言い寄ってきたのです。この恋愛攻勢を避けなければなりませんでしたから、逃げの戦法以外には無かったのです。

 ところが、26を目前にしていた私の人生に、大きな変化が起きたのです。それと同時に、一人の女性との出会があったのです。彼女は、ちあきなおみの様にハスキーではありませんでしたし、初恋の人のようにはときめかなかったのですが、『この女(ひと)こそ俺の妻だ!』との言い知れない確信が心の内に与えられたのです。また鉄幹が言うような才や美や情を、彼女のうちに見つけてはいませんでした。

 ところが36年、共に生きてきた彼女は、あの結婚の理想に負けたおじさんのことばが、間違いであったことを証明するのです。私は理想を掲げて、彼女を見てきませんでしたが、確かなのは、もっとも相応しい最善の妻であったことなのです。もちろん彼女にも、私は理想には程遠かったのでしょうけれど、出会わせてくださった大きな意思を、彼女が認めたからなのでしょう。

 私のもとに処女として来て妻となってくれた彼女との間に、4人の子供が与えられました。また、幸いにも3人の孫もあります。これから後、何年、共に過ごす事が出来るのでしょうか。どの様なことが待ち受けているのでしょうか。その日々を、彼女と手を取り合いながら、共に歩んで行こうと、新たに決心させられた、記念日でありました。

  ●「糟糠の妻」・・・・若い頃から、苦労をともにしてきた妻を言います。酒かすと米ぬかのこと。

0 件のコメント:

Powered By Blogger

自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。