2007年4月21日土曜日

思春期の入り口で


 バスケット・ボールの練習を終えると、駅前にあった食堂で、高等部の先輩にラーメンやカレー・ライスを、よくおごってもらいました。お父さんを都議会議員に持つ先輩がいて、この方が一番よくおごってくれたのです。あるとき、注文して待っている間に、隣のテーブルに座っていた20代の男性が、背のすらっとしたウエートレスのコップを置いた手を、ギュッと握ったのを見てしまいました。本当にびっくりしたのです。他人事なのですが、思春期の入り口にいて、まだ純情な中1でしたから、ちょっと刺激が強かったようです。『大人になると、こんな風にして女に近づくんだ!』と思わされたのです。ものすごい社会学習の機会でした。

 その運動部では、高校生が一緒に練習し、大学生が顔を出していて、社会人になった先輩も来ていました。中2の上級生の中に、どこで仕入れてきたのか、得意になって大人の世界の話を聞かせる先輩がいました。何だか怪しい雑誌を持って来ては、見せるのです。無垢な中1は、彼のおかげで、すっかり大人の世界を覗き込んでしまったのです。何しろ男子校でしたから、そのへんはお構いなしでした。男子校とは、そんなものだったのでしょうか。
 
 実は、男子部の隣には、女子部があったのです。一緒に勉強させたら、もっと教育効果が健全な形で上がったのだろうと思いますが、在学中にはまったく可能性はありませんでした。ところが数年前に、共学になったとの情報が耳に入って来ました。我々の時代に見た夢が、やっと実現した事になります。

 高校生の都の大会には、日比谷や新宿や九段といった高校に、ボール持ちで付合わされました。帰りには決まって新宿で下車して、西口の駅裏に何十軒とあった汚い横丁の食堂街で、ご飯をご馳走になりました。美味しかったのですが、何を食べさせられていたか分からないような、ごちゃごちゃした食堂街でした。この学校の高等部には、3つ違いの兄がいて、野球をしていました。あの先輩は兄の友達で、よく可愛がってくれたのです。

 もう何年かたつと、孫たちが中学生になるのですが、ああいったことが、繰り返されて行くのでしょうか。でもマイナス面だけではなく、プラスの面も運動部にはありましたから、良い感化がある事を切に願うのですが、ただ懐かしい思い出がよみがえって来ます。それにしても、まだ一度も、あんな風に、女性の手を握った事がないのですが、映画の世界の映像のように、今も鮮明です。

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。