2007年4月22日日曜日

『野の花のごと生きなむ』


 春の季語に「踏青(とうせい)」と言うことばがあるのだそうです。俳句を詠む心のゆとりなど、ついぞなかった私ですが、春の野辺に萌え出た青草を踏んで、嬉々として走り回った、幼い日の光景を思い出させてくれます。あの日のうきうきした早春の気分を、今も同じように感じさせられて感謝で一杯です。まだ幼かった子どもたちが、春を感じて、『お母さん、春を見つけに行ってきま・・・す!』と出かけて行き、野花や名も無い雑草を摘んで帰って来た日の事が、昨日のことのように懐かしく思い出されてなりません。

 昨日、紫金山路の道端の土の中に、蒲公英(タンポポ)を見つけました。《春告花》の1つなのでしょうか。住居棟郡の谷間にあった一本の桜の花が咲いていたのは、もう1月も前のことでしたが。

 私の恩師が、戦時中、治安維持法違反の嫌疑で捕えられて、獄舎につながれている時、獄窓の隙間から、青い空と白い雲、雑草の中に咲いている野の花を見て、『生きているんだ!』と言う実感を覚えさせられたと述懐されていたことがありました。この恩師が、卒業して行く私たちに、『野の花のごとく生きなむ。』と色紙に書いて下さったのです。長く牢につながれて、体罰を受けたのでしょうか、足を引きずって歩いておられたのが印象的でした。自由が与えられて、学校に復職して、学部長までもされていました。聞くところによると、この方は大学教育を受ける機会を奪われたのだそうですが、いわゆる無資格の学者で、その道では権威だったようです。

 真冬のような塀の中で、『ここを出たら、自由の身になって、好きな学問をしよう!』と願ったり、『思いっきり幼い日に駆け回った野山で、また春を感じてみたい!』とでも思ったのでしょうか、実に穏やかな人柄の方でした。

 踏まれても、なじられても、野の草や花は強いのですね。時代を憎んで、人を憎まないで生きることが出来た方でした。この方の奥様が、内村鑑三の弟子の妹さんであったことは、卒業して何年もたって知ったことでした。

 人を強くさせ、支えているものがいくつかあるようです。幼い日の懐かしい思い出や人の激励のことば、感動した話などです。でも人を真に強くさせるのは、創造者を知ることに違いありません。自分が、どこから来て、今していることの意味を知り、やがてどこに行くかを知っている人は、自分を知る人なのです。

 それにしても、毎年毎年、忠実に訪れてくる春は、いくつになっても、生きているいのちの躍動を感じさせてくれるものです。

 こぶしも桐も桜も名を知らない花も、一緒に咲いて百花繚乱の天津の「踏青の春」であります。

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。