2009年5月1日金曜日

『今頃、高尾駅は・・・・・』


 甲府盆地から、「郡内」と呼ばれる河口湖や都留方面に抜けるためには、いくつかのルートがあります。境川から上九一色を経て精進湖に抜けるか、峡南の市川から本栖湖に抜けるか、御坂峠(今はトンネルがあります)を越えて河口湖に抜けるかでしょうか。それでもなかったら、大月まで行って、都留を通過して行くかです。山道は、春夏秋冬、どの季節に、どの道を通っても、山里の素朴な美しさを見せていました。生まれたのが山里の12月でしたから、原風景に似た景色を眺められるからでしょうか、郡内への山道は、わらや木切れを燃した煙が立ち昇っている冬から早春の風情は、一幅の墨画を見るようで懐かしく思い出されます。

 そういえば、奥多摩の山や山梨県下の山に登っても、雪のない冬枯れの山道が大好きでした。葉が落ちているのは、ちょっと物悲しいのですが、枯葉を踏むカサカサとした乾いた音はなんとも心地よく、葉を落とした木々の間からの見通しもきいて景色が遠いからいいのです。河口湖方面とは逆に、昇仙峡の周りには、山道が巡っていて、北巨摩から信州・川上村に、また乙女峠を経て塩山・奥多摩に抜けられるのです。そのあたりに私の生家があったのです。「日本百名山」を著わした深田久弥が、登山の途中で亡くなった、「茅ヶ岳」に登った時は、ちょうど今頃の季節だったでしょうか。生まれ故郷の二つほど西に寄った沢違いの山なのです。1704メートルの低い山で、昼食後に、頂上の近くの枯葉の上で、ごろりとまどろんだのは実に気持ちがよかったのを思い出します。週日でしたから、ほとんど人がいませんでした。登山途中に、深田久弥の「終焉の地」の碑がありましたが、彼もまた山に魅せられた人だったのですね。

 ここ福州に、「鼓山(gushan)」と言う、海抜455メートルの山があります。頂上まで、階段とロープウェイがある山なのだそうです。登ってみたい気持ちはあるのですが、山道を登れるのならいいのですが、石の階段を踏んで昇ってみるのには、少々抵抗があるので、躊躇しているところです。きっと眼下の眺めはいいのだろうと思うのです。先日は、この山の麓の近くにある「養老院」を見学に行ったのですが、やはり登山道が気になってしまいました。台湾の方で、日本料理店を経営されて、日本語の上手な店主とお話をしたことがあるのですが、『登るなら一緒に行きましょう!』と言ってくれました。同世代でしょうか。芭蕉は、「漂白の思い」がやまなかったのですが、私は、「登山の思い」がやまないのです。高い山には登ろうと思わないのですが、奥多摩の山や茅ヶ岳や入笠山級の山には登ってみたくて仕方がありません。今頃、高尾駅の普通電車の大月行きのホームには、中高年の登山愛好者でいっぱいでしょうね。することがないからではなく、昔の生活のリズムを感じさせてくれる「山登り」が、みなさんは懐かしくて「回帰行動」をとられるのに違いありません。こちらでは、これから《ブーム》になるのではないでしょうか!

(写真は、八ヶ岳から眺めた「茅ヶ岳」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。