2009年5月6日水曜日

『それでは、この辺で・・・・』


 私がお会いしたアメリカ人の方が、日本語を聞いていて、どのことばに一番印象付けられているのかを話されたことがありました。それは、『あのう!』なのだそうです。まったく日本語を学んだことのない方で、日本人のスピーチを聞いておられて、聞き取っていたのが、この「単語」なのです。頻発するのだから、最も重要な言葉だと思ってしまわれたに違いありません。ことばが続かないのでしょうか、次のことばや思想が見つからないのですか、探している間、考えている間に、私たちは発するのが、この『あのう!』ではないでしょうか。また、遠慮したり、ためらってもじもじしている間に、これを連発するのではないでしょうか。ことばが流暢ではない方は、ひっきりなしにこれを連発されます。聞きづらいのです。話の腰を折ると言うのでしょうか、せっかくの理路整然とした思想が、『ブッツ、ブッツ!』と切れ切れになってしまうのです。時々アナウンサーの中にもおいでです。それで、私は極力これを使わないようにと、意志的に努力をしたのです。おかげさまで、沈黙はしますし、間をとりますが、『あのう!』を言わないで、人の前で話せるようになったと自負しているのです。中国語にも、同じようにして使われる「那个,这个 nege zhege」ということばがあります。まったく日本語の『あのう、あのう!』と同じ表情で、みなさんが使われています。そういえば、英語にも”well、well”がありますね。

 私も、ことばを濁してしまいたいとき、使わないほうがいいと感じたときには、意志的に『あのう・・・・・』と間をおいてしまうことはあります。これとは別に、『どうも!』と言うことばがあります。『どうも・・・』と言っただけで、それに続くことばがないのです。この言葉の聞き手も、『あっ、そうか、《ありがとう!》とか《すみません!》と言いたいんだな!』と理解してしまうのです。私が使っている日本語教科書の会話の中に、食堂に入った日本人とアメリカ人が、メニューを見ながら注文するくだりがあります。アメリカ人の男性が『わたしはテンプラ!』、日本人の男性が『わたしは牛丼!』と言うと、店員さんは、『テンプラと牛丼ですね。しばらくお待ちください』というのです。文法的には間違っていますね。でも会話を学ぶ外国人に、このスキットを用いて日本語を教えるわけです。『わたしはテンプラ!』、『わたしは牛丼!』のことばに、何が続いているのかを、店員さんは理解したのです。『このアメリカ人のお客様は、テンプラを注文し、こちらの日本人の方は、牛丼を食べたいのだ!』と、彼女は理解して、『テンプラと牛丼ですね!』と受け答えしているのです。彼女も、『ご注文は、テンプラ定食1つと牛丼1つですね!』と言わなかったのです。双方が通じているのですから、会話としては成り立っているわけです。そういえば、知人が亡くなって、遺族に挨拶をするときに、『このたびは・・・・まことに・・・・・』と、言っただけで終えてしまったことが何度もありました。くどくど、具体的に表現しなくても、弔意を汲んでくださるわけです。こういった「曖昧さ」が、日本語の特徴なのだと言うことを、つくづく感じさせられるのです。

 《言葉の背後を読み取る能力を要求される言語》、これが日本語に違いありません。私を教え導いてくださったアメリカ人の方は、難しい日本語を駆使することが出来ましたが、この「背後を読み取る能力」は、ついに身につけられませんでした。それは至難なことだからでしょうか。もう召されたのですが、大変努力をされて日本語を学ばれたことに、とても感謝でを覚えるのです。聞くところによりますと、主語などの曖昧さは、古い英語の中にもあったのだそうですね。言葉だけではなく心の思いを交し合うのが会話ですから、こういった曖昧模糊とした部分が、どの言語の中にもあるからなのでしょうか。『それでは、この辺で・・・・』で終わることにします。

(写真は、裏庭から見える隣家の「エンゼル・トランペット(天使の)」です)

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自己紹介

 次男に勧められて始めた「ブログ」ですが、2007年7月から1年間休刊しました。その間、他の「ブログ」を開設したのですが、2008年7月に、名前を変えて再開しました。  父として子どもたちに、爺として孫たちに、また母や兄弟や友人たちにも、何かを語り残したいと願って、続けています。