勝男武士
そういえば、「霞ヶ浦」へ新婚旅行に行った帰り、銚子港の魚市場で、「鰹」を三本かって、重いのを担いで帰ってきたのを思い出します。一本は父と母に、一本は義父母に、そしてもう一本は兄家族にでした。38年前の4月の7日のことであります。大変好評だったのです。鰹漁の基地は、三浦半島の三崎、土佐の高知、鹿児島の枕崎でしょうか、銚子も捨てたものではありません。とくに黒潮に乗って北上するのを一本釣りする光景が海の男の意気を見せて、豪快なのですが。
鰹といえば、「鰹節」に思い出があります。『まさちゃん、かいてくれる!』と言って、《削り節器》を母に渡されて、削り節を削るように、よく頼まれました。今のように、化学調味料の《だしの素》のなかった時代、これと昆布と煮干とが「だし」をとる材料だったからです。母は、この鰹節でだしをとっては、蕎麦のタレやとろろ飯のタレを作っていました。今では、プラスチックの袋入りの「けずりぶし」が主流になってしまっていますから、『シューッ、シューッ!』と音を立てて、乾燥させた鰹を鉋(かんな)で削ることはなくなってしまったのですが。
この鰹節は、源氏や平氏といった「武士集団」が誕生してから、特に重宝がられたのだそうです。駄洒落なのですが、「鰹節」の 「鰹」は「勝男(かつお)」、「節(ぶし)」は「武士」と同じ発音ですから、縁起をかつぎが行われたようで、とくに織田信長は、清洲城に「鰹節」を届けさせては、家臣に振舞ったのだそうです。鯉が滝のぼりをするように、そしてこの初鰹が黒潮を勢いよく遊泳するように、「力強さ」の象徴なのでしょうか。『孫たちよ、力強く、勢いよく成長しなさい。そして誰からも愛され喜ばれる優しさを身に着けてほしい!』、そう願う、皐月五月の大陸のババと爺であります。
(写真は、「鰹節削器(http://nekomiwa.exblog.jp/8244100/)」と「鰹のたたき」です)
0 件のコメント:
コメントを投稿